老人と愛人

対立の一致

ここが何処でももういいです。

何がどうって理論的な説明するのは避けたいのですが、このブログを定期的に読み泣いてます。

 

「伝えたかったことたちとか。 梁川奈々美

https://ameblo.jp/juicejuice-official/entry-12434936216.html

 

まずもって僕は、良くあろうとする人間が好きです。分かりやすく、嗣永桃子さんや道重さゆみさんの様に、自身の可愛さを標榜する姿勢。それ故に、可愛くあろうとする全てとか。

だから思うのですが、自撮りとかを否定するキモい人間いるじゃないですか。あれ何なんですか、マジで。あまりに過剰であるのは考えものかもしれないですよ。一昔前に流行ったSnowみたく畜生に成り下がる感じとか、最近流行ってるZEPETOよろしく0と1の集合体に収斂されていく生命の終わりとか。

とはいえ、良くあろうとする人間を貶めるのは美しくないっすよ。女性にマウンティングして悦に浸るクソ雑魚マッチョは「最愛に比べれば最強なんて」と100回唱えてくれ。

それはそうとして、「伝えたかったことたちとか。 梁川奈々美」まず、タイトルで震える。

f:id:fric:20190201202605j:image

この「褒められ伸び子」という表現よすぎませんか。これに関してはつんく♂の言語センスが優れまくっているのですが、「やなみんってばすごい…!」の「ってば」の様なカジュアルな感じで自己を愛らしく表現するのとか、本当に美しさあり。やなみんの文章を読んでいると、古いオタク特有の自己完結の庇護欲が湧き上がりますね。それに関しては、カントリーガールズのそもそものコンセプトの様な気がしますが。カントリーガールズを応援すると、無様な自己を認識してしまい、普通に泣く。

f:id:fric:20190201202752j:image

「ちゃんと
パーフェクトに
可愛いやなみんでいるためにも 笑
もう少しまるみんになりたいなと」

の「ちゃんと」が良い。なんというか、ハロー!プロジェクトを卒業することが悲しいとか、そういう事だけではなくて(それはもちろんだけれど)悲しいことと、やなみんのこれからと、楽しいこととか、それこそ文章に込められた”彼女の記憶”が、バッシバシと身体中を駆け回り、涙として濾過されていきます。

 

f:id:fric:20190201203000j:image

「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」と偉い人は言っております。人の営みや社会の関係性にこそ、それが不幸であったとしても、その全てを積極的に「意味」と認められるとき、自己認識としてのこの世に価値があると断言できるのだと思います。ゆえ、「幸せ」とやなみんが言っているこの全ては価値があり、彼女のアイドルとしての5年弱の記録は美しいと言っていいと思います。

ハロプロを卒業して、現状の形と変わることにどうこう言ってらんないよ。もう。

何もかもが終わるわけではないのだと最近気付く。